とろけるお砂糖
タイトルには何の意味もありません。
1月なんて存在したか?というくらい秒で2月になった。年が明けて1ヶ月過ぎてしまった。じじいが死んで5ヶ月が経った。
あれもこれも文章に残したくて、下書きには1000文字弱の文章たちが蠢いているけれど、完成の時を迎えることができない。言葉は脳内を駆け巡るのに、どうしても行き詰まって最後まで行けない。言葉にならないことを言葉にするのが、みたいなフレーズがあるが、やはり人の心に言葉が追いつくことは出来ないのかもしれない、などと思う。「近いところ」に行くことはできても、「全く同じ色」を表現することは出来ない。人の心はあらゆるものごとの究極体だと思う。正論は必ずしも正解ではなく、愛は必ずしも対象を守らず、黒は人為によって白になる。言葉にならない、は逃げだろうか。
正直ここ数ヶ月はこうして文字を打つことそのものに対しても腰が重くて、特に何があるわけでもないのに八方塞がりといった感じだった。
曲が書けない、歌唱力とかほんとゴメンだけどとりあえず曲がよければ私が楽しいからそれでいいんだけど、それすらしっくりこなくて6割作っては塞ぎ込み、ブログと同じように下書きばかりが溜まっていった。
夜中、すっかりやり方を忘れたミックスに没頭し、半年ぶり?に新しい曲が形になった。とりあえず出せる状態にはなって、ほっとして布団に入った瞬間ブログを書きたくなった。(ただでさえ少なくなった睡眠時間がさらに削られる)
追い込まれていたのだな。
どの方を向いても何もうまく作れないこと。それなのに生活はどんどん過ぎていくこと。音楽に対して何もしていない日などなかったのに、みんなに見せられるものがひとつもないから何もしてないみたいで、半端なことしてやめた人みたいで、悔しくて、情けなくて、少し寂しくて、焦って、ぎゅうぎゅうだった。
稚拙でも何もやらないよりマシ。見せるのが恥ずかしくても見せなきゃ誰かが好きになってくれる可能性すらない。わかっちゃいるけど、である。
でも、もう、「けど、」を振り切ろう。
私が日頃気に病んでいることの大半は誰かに話すと「全然大したことなかった」に着地する。私の心配は大概そんなものなのだ。
私が「こんな稚拙なもの」と思っても、もしかしたら誰かにとってはすごいものかもしれないのだ。そうだ。そう思ってくれる人はいるはずだ。だって私は出来る子だから。日頃の行いもとても良い。年明けは自炊もしてるしとっても偉い。きっと音楽も良くなっているはず!!
謎ポジ!!!!!!!!!!!!!
曲名全部日本語にしよーって思ってたけど(英語とかなんかむず痒いから)、なんか出来上がってみたら横文字しか受け付けない感じの曲になってたので横文字にしてみました。プェ〜。
なんかいい感じの頃合いにアップしますね。
ここまで10分くらいで書きました
おやおやぴー