すこやか生活

音楽 Twitter@_sui101sui_

芸術は

 

芸術とその作者の人間性はどこまで紐付けるべきものなのだろう。なんだか一度考え出したらいろんなことがわからなくなってしまった。

好きなミュージシャンが私生活だらしないのとか、性格が悪いだとか、超どうでもよかった、というかその手の話は溢れすぎていてある意味麻痺していたのかもしれない。大概そんなもんだろ、っても思ってたし思ってるし。だからなんか、基本的には別にどうでもよかった。そもそも性格は合う合わないで良し悪しとかではないと思ってるし。

 

どうでもいいのだろうか?

 

他者を故意に傷つけまくった人間が作る芸術が果たして美しいのだろうか。私の思う芸術・創作というのは、純にそれを楽しむポップネスあるいは言語が拾いきれない心の機微や美しい情景を互換することで、作者や受け取る人間が頭を使ったり心震わせたりする変換装置のようなものだ。(そしてどこまでも娯楽。) 芸術が人を不幸にしていいわけがない、と思う。誰かの涙を踏みにじった上にある芸術のその見た目がどれほど美しくても、私はそれを絶賛して良いのだろうか。

他者を傷つける、という意味では引っ掛けた女を使い捨てたらその女は多分傷つくんだろうけど、その前にそもそもの合意と幸せを感じていた時間はあったわけだからこれを同じ枠組みに当てはめるのは違うのか。じゃあ不倫は?知り合いでもない他人の恋愛にどうこう言うのマジ暇なのでどーでもいいなって思ってたけど。まぁ当事者が自虐ネタにするのはずっと許せないんですが。法的に別れようが何の非もなかった相手は永遠に傷ついてるわけですし。笑えねーから。っては思うんですが。とりあえずお前が歌う恋愛はもう聴いてらんねーよ、とは思うしプレイリストから消した音楽もありますが。

この人はオッケー、この人はダメ、みたいな定義がすごく苦手で、とりわけマイナスの線引きについては個人贔屓したくないし同じ基準で判断していたいの。自分のスタンスとして。

去年見に行ったある大型展示の音楽担当をされていて、それが素晴らしくて感動した。好きなアーティストがストーリーに載せていて聴いた曲がとても美しくて心震えた。

知らぬが仏だったとは思わない、それを知らないまま手放しに持ち上げてる自分を想像すると嫌だから。でもやっぱり前と同じ色に聴こえて来なくて悲しい。間違いなく美しい表現がそこにあるのに、私の心は所在を失うばかりで、画面を左から右に動く点が真ん中を通過するのも待てずにそれを上に飛ばした。

これに関して正解みたいなものはなくて、いくら考えても自分がえぐられるだけなのはわかっているのだけど、それでも正解を探しては苦しい。

ツイッターでは様々な議論がなされていて、頭が痛くなる。1000RTいけば大バズだった頃の平和なツイッターランドはどこに行ったんや。おはあり〜!おつあり〜!ふろりだ〜!の時代、どこ行ったんや。頭を使うことは大好きで、思考を止めたら死ぬくらいに思っているけど、最近のTLは匿名性を振りかざして個人正義を世界正義のごとく押しつける悲しい文字戦争が多すぎて心底消耗する。

 

話がズレた。

 

とにかく私はもう本当にそのことでベコベコに凹んでしまったんだ。お腹は出ているのにな。

 

ひとつ答えが出たとすれば、「私は絶対に誠実な表現者であり続けよう」という意思が更に強くなったくらいだろうか。大して頭使いもしないで何でもかんでもロックだな〜とか天才は変わり者だな〜みたいなこと言うのマジで腹立つんで。何それ、何でも正当化できんだろ。ダメなもんはダメだろ。

 

またトゲトゲしてしまった。悲しい。

 

昨日の夜食べたお寿司がおいしくて幸せだった。