適応の悪用
4月から5月に変わり、元号を跨いだときと同じ感覚だ。夏休み前日から1日目になったときも。前回消費税が5%から8%になったときも。同じだ。
一瞬の違和感と気持ち悪さを通り過ぎてしまえばもう「もう変わったんだ」と脳に刷り込むしかないし、時間が経てばそれが当たり前の感覚になっていく。10%増の数字が印字された値札にいちいち苛立つことも少なくなっていくのだろう。面倒な会計も少しずつ覚えて、何がどの税率かもテキパキ仕分けられる頭になっていくのかもしれない。純粋に人間ってすごいなと思う。
こうやって慣れてPayPayの還元率に嬉々と反応するようになって文句を言う人間も減っていくから私たちは搾取され続け幸福の概念をジリジリと捻じ曲げられ老いた途端に切り捨てられるのだろう。なんなら老いる前に限界を迎えて静かに消えていってしまう人もいるのだろう。
猛烈に不快だ。恥ずかしながら最近まで政治といものにひどく無頓着であったが、老後2000万事件を機に政治に目を向けるようになり、結果自分の未来がいかに絶望の時代にあるかという事実に打ちひしがれることとなった。
人は嫌でも置かれた状況にそれなりに適応してしまうしその中でうまく回すすべを探す。探すことが出来る(もちろんどうしようもないときもあるが)。悪用されているなぁ、としか思えない。
お金がないから吉野家に行くんじゃない。今日はちょっと贅沢しちゃお!って気持ちで吉野家に行くのだ。好きでソールが剥がれそうなスニーカーを履いてるんじゃない。急な出費が怖くて追い込まれるまで買うのを躊躇うのだ。
1日の半分を薄給労働に費やし、自分に戻るわけでもない多額の税金を容赦なく引き抜かれ、奨学金を返済し、その外のささやかな自由がそんな生活のまま人生を終える人が大半なんて絶望しかないではないか。
安給料しかもらえない仕事だから悪い、みたいな話もちょっと違うんじゃないかと思う。たしかに専門職とかが給料高いのは納得するし、力量がある人間はお金をもらって当たり前。替えが効かない側面もあるし。でもそうでないにしてもちょっとこれはひどくない?と思う。個々人動けるキャパも違うし。
私ずっとこの国に生まれて幸せだと思ってた。清潔だし、銃社会じゃないし、戦争してないし、生活環境の治安も良いし、技術も発展しているし。幸福度ランキングとか関係なく、この国で良かったぁ、って思ってた。
思ってたのにな。
生理用品って贅沢品なんだぁ、とか、化粧しないとマナーがどうこう言うくせに化粧品もぜーんぶ贅沢品なんだぁ、とか考え始めたら悲しくて泣きそうになった。
別にこの記事が政治関係のどこかへ届けとかも思わんしそれとこれとは違う話だよみたいなのもある文脈だと思う、すまん、でもなんかほんとに気持ち悪いんだよな、いろいろ。
マジ労働なんかしないで光合成だけで生きてぇな・・・