すこやか生活

音楽 Twitter@_sui101sui_

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花粉症と何らかの鼻炎もしくは鼻風邪の合併による鼻水とくしゃみが止まらず、挙句左目にはものもらいが出来た。厄年かと思った。全然厄年じゃなかった。

バンプのsupernovaの歌詞を思い出す。僕には体があるってこと。今まで呼吸をしていたこと。本当の大事さは居なくなってから知るんだ。

あの日を鮮明に覚えている要素の一つは3月とは思えないほどの寒さと吹雪。今年はよく晴れていた。気温が上がり、温かい風が吹き、花粉がたくさん飛んで私はずっとくしゃみをしていた。朝コンビニで買った保湿ティッシュ(箱)を帰りにはほとんど使い切った。

閖上では青空にきれいな虹がかかって、白い鳥が一斉にそれに向かって羽ばたいたそうだ。虹の始まりで待ち合わせをするような途方もなさを今年もしっかりと感じて寂しくなった。

「普通に生きている」未来など誰にもどこにも約束されていない、そんな当たり前を今年も痛いほど感じる。

 

しょうもない大人の救いようのない言葉に呆れて言葉も出なかった、そんな出来事があった。悲しかった。これだけのことがあっても何ひとつ刺さっていない人間がいることが信じられないし、きっと一生交わり合えない精神性なのだなと迷いなくシャッターを降ろそうと思えた。

生きる方を進み続ける限りは己を痛めつけることなど出来るだけしたくないし、傷付けようとする人間は一方的に退場させるだけである。君の人生にもし私がいても私の人生にもう君はいないよ、でいいのだ。バカに傷つけられている暇などない。私だけが見た景色、私だけが見た感じた絶望、わかるわけがないわかられなくていい、向き合ったところで伝わらないのはとうに分かっている。私は君をおよそ諦める。しかし密かに噛み砕くのだ。長い時間をかけて、それらは形を変えて、いつかこの真っ黒な優しさを押し付けて嫌いな君のことさえ全部まとめて真っ白にしてやりたいなんて思ったりする。

 

話が逸れまくった。

 

いつか不意に終わりを告げられるその時まで果てなく信じる美しさに近付ける生き様を残し続けなければとこの時期が来るたびに思わされて人生がキュッと引き締まる。

ここ数年は精神的な問題によって春そのものがトラウマに近くて、春の昼間の陽気に体がこわばる。気温が上がり始めるとやや萎える。1番好きじゃない季節かもしれない。それでも私に不平等な命を教えてくれるのはいつもこの季節だ。

 

この青空みたいな水色が一度も作れなかったあの頃の絵の具の匂いを思い出してタイムカードを切る。

 

 

とろけるお砂糖

 

タイトルには何の意味もありません。

 

 

1月なんて存在したか?というくらい秒で2月になった。年が明けて1ヶ月過ぎてしまった。じじいが死んで5ヶ月が経った。

あれもこれも文章に残したくて、下書きには1000文字弱の文章たちが蠢いているけれど、完成の時を迎えることができない。言葉は脳内を駆け巡るのに、どうしても行き詰まって最後まで行けない。言葉にならないことを言葉にするのが、みたいなフレーズがあるが、やはり人の心に言葉が追いつくことは出来ないのかもしれない、などと思う。「近いところ」に行くことはできても、「全く同じ色」を表現することは出来ない。人の心はあらゆるものごとの究極体だと思う。正論は必ずしも正解ではなく、愛は必ずしも対象を守らず、黒は人為によって白になる。言葉にならない、は逃げだろうか。

 

正直ここ数ヶ月はこうして文字を打つことそのものに対しても腰が重くて、特に何があるわけでもないのに八方塞がりといった感じだった。

曲が書けない、歌唱力とかほんとゴメンだけどとりあえず曲がよければ私が楽しいからそれでいいんだけど、それすらしっくりこなくて6割作っては塞ぎ込み、ブログと同じように下書きばかりが溜まっていった。

夜中、すっかりやり方を忘れたミックスに没頭し、半年ぶり?に新しい曲が形になった。とりあえず出せる状態にはなって、ほっとして布団に入った瞬間ブログを書きたくなった。(ただでさえ少なくなった睡眠時間がさらに削られる)

 

追い込まれていたのだな。

どの方を向いても何もうまく作れないこと。それなのに生活はどんどん過ぎていくこと。音楽に対して何もしていない日などなかったのに、みんなに見せられるものがひとつもないから何もしてないみたいで、半端なことしてやめた人みたいで、悔しくて、情けなくて、少し寂しくて、焦って、ぎゅうぎゅうだった。

 

稚拙でも何もやらないよりマシ。見せるのが恥ずかしくても見せなきゃ誰かが好きになってくれる可能性すらない。わかっちゃいるけど、である。

でも、もう、「けど、」を振り切ろう。

 

私が日頃気に病んでいることの大半は誰かに話すと「全然大したことなかった」に着地する。私の心配は大概そんなものなのだ。

私が「こんな稚拙なもの」と思っても、もしかしたら誰かにとってはすごいものかもしれないのだ。そうだ。そう思ってくれる人はいるはずだ。だって私は出来る子だから。日頃の行いもとても良い。年明けは自炊もしてるしとっても偉い。きっと音楽も良くなっているはず!!

 

謎ポジ!!!!!!!!!!!!!

 

曲名全部日本語にしよーって思ってたけど(英語とかなんかむず痒いから)、なんか出来上がってみたら横文字しか受け付けない感じの曲になってたので横文字にしてみました。プェ〜。

 

なんかいい感じの頃合いにアップしますね。

 

 

 

ここまで10分くらいで書きました

 

おやおやぴー

 

 

 

速度

頭が良い悪いではなく、偏差値が高い低いではなく、思考の速度感が圧倒的に合わない人と"頭を使わない人"とはどう頑張っても折り合いがつかなくなってしまう。

悪気がないと言えば、そういう人だしと言われればなんでも許容できる、わけではないし。世の中にはしわ寄せを食べ続けてる人がいると某番組で林檎さんが言っていた気がするが本当にその通りで、目の前のことばかりしかもアバウトな換算で楽な方楽な方を選び続けてる奴が結局は上手く世渡りしてる感というか、こちらから言うとスゲー省エネでいいっすね〜wwという。まぁ代わりに誰かの「省」を請け負っている人間がいる側面もありますし、私が明らかに世渡り下手なのも悪いかもですが。僻みですかね。

自分の普通を他人に押し付けるのがお門違いなのはスゲーわかってる。それされるの超ストレスだし。でもなんか、それ以前に、もう少し考えたらそうはならなくない?みたいな、ある程度人選んでやってんのわかるけど、ねぇそれ最初からやってたことなのになんで今頃放棄し始めるの?めんどくさいからだよね?避けたいからだよね?じゃあそれは誰がやるんですか?誰かがやってくれるでしょじゃねんだわ誰かがそうやって目を逸らした面倒を毎回延々食べ続けてる人間がいるわけですよみんなやりたくないんですよそれでもやっているんです何故それがわからない??わかってるけど自分じゃなければいい的な???みたいなことがちょこちょこあってちょこちょこストレスでチョコ食べたいな〜!って感じ!

私は根本的に全然優しい人間ではないが(最近まで優しいと思い込んでいた)、適応型社会不適合(言葉にすると矛盾だが)なので外では平和に穏便にやっていける方だ。でもやっぱり根っこがそういう奴だから、偽装の仏心だから、な・ん・で・だ・よ のヘドロで心が埋まってゆく感覚がすごく気持ち悪くて不意にドッと疲れてしまう。自分がやっていることなのに、聞こえるところで「あの人が可哀想だと思わないの?!笑」と言える精神性ですよ。怖。

これこそ性格良い悪いじゃなくて、合う合わないなんだなってことかー。で終われればいいんだけど、人間ですからね。普通に傷もつくし腹も立ちますがな。知らんけど。

でもこうやって怒れるうちが健康なんだよお。鬱ひどかったときはもう何言われても響かなかったもんね。響かせたら壊れるから感情という感情を無意識下に殺していた。怒れる私は健康体です。

 

日常で受け取った幸せって言語化したら適切な表現には絶対たどり着けなくて(それをするのも仕事な気はしますがそれはブログでしなくてもいいと思う)、妥協したら幸せに靄をかけてしまう気がしてあまり書く気になれなくて、だからなんかずっと怒ってる人みたいになっちゃっててごめんねって思う。ごめんねって思う自意識もまたキモいが。

 

スジャータがシーズンで出すミックススムージー、夏のスイカのやつがめちゃくちゃ美味しかった。今朝新商品のいちご買ったけどちょっとすっぱい。でも果肉しっかりあって嫌いじゃないな。ふふ、まだ水曜なんだね!泣けるぜ

 

今日もほどほどに頑張ろうねえ

 

 

 

 

 

つくづく向いていないな、と思いながら人前に立つ。媚びなど売れなくて、嘘がつけなくて、持ち合わせた本当の中にはおもしろいことなんて全然なくて、それでも、自分の首を締めながらでも本当のことしか言えなくて、本当のことを嘘みたいに言ってみたり、何をしてるんだろうか。

苦手だと思っていたこと、実はそれほど苦手じゃなかったのかもしれない。あるいは、向き合い続けていつのまにかできるようになったのかもしれない。何れにしてもそれは間違いなく私にとってプラスなことであるはずなのに、それを手に入れたことで思うのは「私の価値はどこにあったのだろう」という空虚とストレスで、心底救われない奴だなと笑えてきてしまう。

100人の愛を受けたとしても越えられない1人の愛がある、好きな人に愛されなければ何ひとつ救われない、客観的に見てどれだけ幸せな場所が用意されていたとしても孤独感を拭えない人間がいるのはそういうことであり、まったくもって真実であった。

恵まれていることは重々承知であるが、恵まれていることと幸せは必ずしもイコールではなく、向き不向き、得手不得手はその外の話であり、やはり可能な限り気持ち良いゾーンだけで生きていたいものである。

ありがたい環境でありがたい思いをし新しい力を手に入れながらも越えられない「無理」を早く手放せるように私にできることなどひとつしかないではないか。やるべきことなんてひとつも変わっていなかったのに何を迷っていたのだろう。

 

 

 

 

曇り空でもなぞれるよ、オリオン。

 

そう、ユニゾンならね。

 

 

 

は?

 

 

 

 

 

 

地球最大規模、ってなんだよ!地球の誕生から見守ってる奴出て来いよ!観測史上世界最大、ってことじゃねーの??

 

おはようございます!揚げ足取りマンです!

 

 

鬼の低気圧も台風も無理すぎて会社に向かってる自分が世界一優秀に感じる。通常出勤してる人間は驚異の偉さなので全員無事に乗り超えような。いのちだいじにだよ。

 

 

嵐の前の静けさ感にビビり倒しているけど、今日は楽しみにしてたリリースが多いおかげで少しメンタル元気になれそう。

 

 

ニゾンがサブスク解禁してくれたの本当に嬉しいなぁ。選曲も導入版としてはさすがのラインナップ。去年の誕生日、ひとりでユニゾンのライブを観に行っていて。音楽やり始める覚悟を固め始めた時期で、人生のこととかいろいろ考えすぎて少し心グラグラしてたときそのライブで聴いたInvisible  Sensation、割と特別な曲になっているのかもしれない。と、改めて聴いて思った。田淵先生はあまり直接的な歌詞を書かれないので、「だから、生きてほしい!」がぶっ刺さりすぎて泣いてしまった。ワイ、生きる〜(;_;)ってなったなぁ。

 

あと個人的には前々からさよならサマータイムマシンが大好きなので買うなり借りるなり絶対に聴いてください。

 

 

アーーーーーーーッまた書きすぎてしまった、こういう話セーブしたいんですけど大好きだし嬉しいので無理

 

 

 

なんだかんだサブスクの時代になったことは否定できない。サブスクあるから聴いてみて!って勧める時代。私大学生の頃はツタヤの視聴機にへばりついて聴いてたのになぁ〜。(まぁこの頃からサブスクはあったので単に私がアナログだっただけと言えばそうなんだけど)

 

CDを買って公式のサブスクで聴くのが1番アーティストにお金いくぞ!みたいなツイート見て、私そのタイプの人だな〜って思ったんだけど、さらに考えるともはやCD買う人ってライブも行ってたり既にいろんなところでお金落としてる層(言い方あれだけど)がほとんどなんじゃないかな〜?とか思った。

CD買う人ってもはやコレクター人種だけだと思っている、その辺にこだわらない人は配信で買った方が安いし。サブスク使ってる人ならなおさら配信購入の敷居は低い。

サブスク、デメリットももちろんあるのは理解してるけど私はあると嬉しいな。サブスク使うようになって出会えた音楽、発売日にCD買いに行くくらい好きになったバンドもいるし、上手く使っていきたいねぇ。

簡単に飛ばせてしまうから、楽曲構成も展開が早い方が耳に止まりやすいとか、なんかフーーーンっては思うけどそんなこと考えて作る余裕なんてないっすね。商業的にやるならそうなるんでしょうが。難しいっすね。

 

 

ハーイ勤務勤務ーーー!!

 

 

 

 

 

☔︎

 

超良いよね

 

 

 

 

適応の悪用

4月から5月に変わり、元号を跨いだときと同じ感覚だ。夏休み前日から1日目になったときも。前回消費税が5%から8%になったときも。同じだ。

一瞬の違和感と気持ち悪さを通り過ぎてしまえばもう「もう変わったんだ」と脳に刷り込むしかないし、時間が経てばそれが当たり前の感覚になっていく。10%増の数字が印字された値札にいちいち苛立つことも少なくなっていくのだろう。面倒な会計も少しずつ覚えて、何がどの税率かもテキパキ仕分けられる頭になっていくのかもしれない。純粋に人間ってすごいなと思う。

こうやって慣れてPayPayの還元率に嬉々と反応するようになって文句を言う人間も減っていくから私たちは搾取され続け幸福の概念をジリジリと捻じ曲げられ老いた途端に切り捨てられるのだろう。なんなら老いる前に限界を迎えて静かに消えていってしまう人もいるのだろう。

 

猛烈に不快だ。恥ずかしながら最近まで政治といものにひどく無頓着であったが、老後2000万事件を機に政治に目を向けるようになり、結果自分の未来がいかに絶望の時代にあるかという事実に打ちひしがれることとなった。

人は嫌でも置かれた状況にそれなりに適応してしまうしその中でうまく回すすべを探す。探すことが出来る(もちろんどうしようもないときもあるが)。悪用されているなぁ、としか思えない。

お金がないから吉野家に行くんじゃない。今日はちょっと贅沢しちゃお!って気持ちで吉野家に行くのだ。好きでソールが剥がれそうなスニーカーを履いてるんじゃない。急な出費が怖くて追い込まれるまで買うのを躊躇うのだ。

1日の半分を薄給労働に費やし、自分に戻るわけでもない多額の税金を容赦なく引き抜かれ、奨学金を返済し、その外のささやかな自由がそんな生活のまま人生を終える人が大半なんて絶望しかないではないか。

安給料しかもらえない仕事だから悪い、みたいな話もちょっと違うんじゃないかと思う。たしかに専門職とかが給料高いのは納得するし、力量がある人間はお金をもらって当たり前。替えが効かない側面もあるし。でもそうでないにしてもちょっとこれはひどくない?と思う。個々人動けるキャパも違うし。

 

私ずっとこの国に生まれて幸せだと思ってた。清潔だし、銃社会じゃないし、戦争してないし、生活環境の治安も良いし、技術も発展しているし。幸福度ランキングとか関係なく、この国で良かったぁ、って思ってた。

 

思ってたのにな。

 

 

生理用品って贅沢品なんだぁ、とか、化粧しないとマナーがどうこう言うくせに化粧品もぜーんぶ贅沢品なんだぁ、とか考え始めたら悲しくて泣きそうになった。

 

 

別にこの記事が政治関係のどこかへ届けとかも思わんしそれとこれとは違う話だよみたいなのもある文脈だと思う、すまん、でもなんかほんとに気持ち悪いんだよな、いろいろ。

 

 

 

マジ労働なんかしないで光合成だけで生きてぇな・・・ 

 

 

 

 

 

オタク、我に返る。

 

これじゃなきゃ、を持っている人が羨ましい。人のことを羨んでばかり、結局は他人依存の自分がとても醜いし、やるべきことは山のようにあるのだけど、考えるほど自分の「なんでもよさ」に悲しくなったりする。

いつも光る誰かに憧れて時間とお金を集めて捧ぐことで生きる意味を見出していた。それらさえ用意していればまず裏切られることのない愛に依存して目の前のものに全く目を向けていなかったように思う。

その時々満たされた気持ちになっていたのは事実だったし、もちろん後悔などひとつもない。楽しかったし大切な繋がりもたくさん出来たから。けれど、ふとそれらを手放してみたら、自分の成長率の低さと空っぽさに圧倒的に絶望してしまった。

 

似たようなオタク人生を歩んできた友人が先日、"いろいろなタイミングでそういった(オタク的な)生活から少し距離を置いた時期と目の前に愛すべき人が現れた時期が重なり、それらが過ぎ去って1人になったとき、自分の幸せとか価値がどこにあるのかわからなくなった。" みたいなことを話していて、あーそれそれ、それだよって思った。あの日食べた五目あんかけ、めちゃくちゃ多かったな。

義務も嗜好も、目の前にあるタスクを消化していくことでちょうどいい達成感と幸福感を得て、それを幸せと思って生きている。全然間違っていないしこれはひとつの人生の形として成り立っている。でもそれは私にとっては絶望だった。

 

たぶん私は結構器用な人間で、苦手なことでも与えられればそれなりに形にできる。だいたいのことは当たり障りなくそつなくこなせる方だと思う。致命的にできないことといえば数学(困らない)と待ち合わせに時間通り行けないことくらいではないか(それはダメだな)。

基本的に何事も手抜きが出来ないタチだが、たまに手抜きでいいや〜って気持ちで作ったものほど褒められたり、なんだかよくわからないけど、そういうことが多いから多分器用なんだねぇ、って思う。ゆえに、全てが平たくて向き不向き、得手不得手、心のベクトル、そういうのもなんだかよくわからない。

 

私は今音楽を作っているけれど、それが果たして「これじゃなきゃ」なのかと思うとそうじゃない気がする。リスナー側、享受する側においては「私のいちばんは音楽だよ!」って思う。めっちゃ思う。あらゆる趣味の中で音楽を聴いている時間が圧倒的に好きだし時間もお金も割いてもっと知りたいって強く思うから。

じゃあクリエイトする側としてはどうなのか?こんなこと考えない方がいいのか?憧れて、始めてしまったからやめられない。こればかりは辞めたら負けだと思う。身の回りに溢れる才能たちに絶望して逃げた自分の負け。始めた理由と辞める理由が噛み合わない。だから辞められない。今は正直それが1番近いと思う。

まだやれるから、もっとよくできる、よくしたいと思ってるから逃げたくないのだろうし、そう考えれば私は音楽がしたいのであろうという解は出せるのだけど、やっぱり 音楽しかないんです、みたいなことは言えない。音楽が大好きだし、歌うことが大好きだけど、曲作りよりもアニメ見たり漫画読んだりするときの方が圧倒的に腰が上がる。平日はオフィスで働いていて、このままなんとなくほどほどの諦観絡めながら土日のために生きていくこともまぁ出来る。多趣味だから退屈もしないだろう。私さえ やーめたっ て思えば今すぐに。

でもそうやってぬるま湯に浸ってダラダラと命を消耗していくのが怖いからこういう道を選んだ。そしてやるなら全部じゃないと、ってなっちゃうし、腑に落ちない言葉を発するのも嫌だから結局自分で作るしかなくて、マジわがままで支離滅裂で、わかってるんだけど、だからよくわからないままでも込み込み結果こうやって全部を自分で作っていて。結局どこにも着地できずふらふら彷徨っている。感じがする。つらい。

 

こんな感じの話前も書いたな。笑

 

ずっとずっとそんな感じでいます。

確固たる何かしらをひとつも持たないまま、己の半端な器用さに自惚れて勘違いした人生を送ってきたツケだとさえ思っています。

好きなものを人生かけて好きでいたい。オタク体質な自分は好きだし、ずっと(広義で)オタクでいたいなぁって思う。でもそれを差し引いたとき空っぽな人間であることはこんなにも絶望的だ。

こんな時代だから、誰かが結婚したり、子供が生まれたり、バンドマンになったり、俳優になったり、カメラマンになったり、周りの景色がどんどん変わっていくのをダイレクトに目にしてしまう。だから余計に自分の道を意識してしまうところもあるのかもしれないけれど。

最近は生活そのものが少し忙しくて(忙しくした)ある意味さらに自分の首絞めてるんだけど、逆にこれによって救われる面は確実にあるのでタフに頑張ろうと思っているよ。

 

何もしてないように見せかけていまは新曲2つくらい注力してちまちまやっています。(タネはもっとある) こないだリミッターについて勉強して少しだけわかりました。細かいことはわからんので、「ここをこうすれば音でかくなるっぽい」くらいのノリでやってる。音圧ーーー!!

 

ねぇ 私は私を諦められないんだねぇ。いい人ぶろうとしても結局バレてしまう、私は嫌な奴だなぁって誰よりも早く気付いてる、私が私だから。なんでこう言えなかった、なんでこう言った、だからお前は嫌われる、お前に何ができる、何を返せる、圧倒的にもらいすぎなんだお前は。上京したら独りになると思ってた。友達なんて物理的に離れて仕舞えばみんな疎遠になって終わりだと思ってた。ならなかった。ごめんね、じゃなくてありがとうを言えよ。不幸ごっこやめろよ。(逆は必ずしも成り立たないが)目の前にある幸せは自分の手で連れてきたものだろ。もっと自分も他人も信じていい。好きなことを好きと言えばいい。好きなことをすればいい。

 

 

ずっと音楽に埋もれてたいなぁ

 

 

 

 

空っぽのまま生きていくのはしんどすぎるよ